2012年11月25日

竹田城(4)

天空の城、竹田城(三度目pert2)

とうとう見えて来た。待ち望んだ天空の城。しかし未だ霧がかかっていて完全には現れない。

DSC_0260.JPG

霧の湿気でカメラが濡れるのを拭きながら待つと徐々にはっきりとしてきた。

DSC_0303.JPG

ここまではマニュアルで撮ってきたんですが目の前にある木がどうしても気になるので離れたところで手持ち完全オートで撮ってみました。

DSC_0317.JPG

なんだか手持ちオートとマニュアルで撮ったのと殆ど変らないような。というか手持ちオートの方が綺麗なような・・・。自分が下手なせいもあるだろうけどこのNIKONJ1の手振れ補正も凄い。
どちらにせよ、カメラのことを勉強してればもう少しいい写真が撮れたかもとちょっと後悔した瞬間でした。

しかしこの光景は凄い。眼前に広がるこの雲海、そしてその雲海に浮かぶまさに天空の城というに恥じない幻想的な竹田城を見ているとこれが本当に現実なのかと疑いたくなるほどだ。数年越しの思いが報われたような喜びと、一生分の感動の大部分を味わってしまったような寂しさに複雑な思いになった。

まだこの光景を見たことのない方に、ぜひ見てほしいと思います。時期と気候条件によっては見れないかもしれませんがこれを見て感動をしないという事はないと言い切れます。

ふと後ろを見ると大量の人がいつのまにか集まっていた。早めに移動しないと山を下りるのが大変になるので竹田城跡に移動して今度はお城からの雲海を楽しむ事に。

最後に目に焼き付けて下山すると駐車場にはとんでもない数の車が。少なく見積もっても200台以上は停まっていたので、これぐらいで切り上げて正解だったなと安堵して竹田城へと。

竹田城へ着く頃には霧もだいぶ晴れてきて一部の方向にしか雲海は見えなくなっていた。

霧に包まれる城下
DSC_0325.JPG

この方向を見るとまさに天に浮かぶ城にいるかのよう
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天守台から。もうほとんど霧はない
DSC_0335.JPG

こうしてみると、ここまで霧に包まれるような城なら昔はこの霧を利用して攻められたりもしたんだろうか。
この竹田城では何回もの戦いも繰りひろげられているようだし。

例えば竹田城での戦いでは有名なもので竹田城の戦いというものがあります。

歴史資料価値的にはかなり信憑性の薄いらしき武功夜話では

Wikipediaより


太田垣土佐守高所に城を築き立ち向かい候。御大将羽柴小一郎殿人馬の息を休めず逃集の一揆輩悉く切り崩し追い打ち在々に火を放ち竹田の城に寄せ懸かり候ところ、高山険阻に拠り岩石を投げ落とし手向かい候。寄せ手の面々物とも為さず山谷を打越え諸手より鉄砲三百挺筒先を相揃え打ち入り候えば、遂に叶わず降参、城を相渡し退き候なり

−武功夜話


とあります。かなり勢いのある文で、本当にあんなところから岩石など落とされたら堪ったもんじゃないなとか、こんな霧の時に鉄砲300挺も持ち込んで戦ったら同士討ちしまくりだろうなとか、私個人的に羽柴小一郎秀長という武将が好きなこともあり、なんとなく穏やかなイメージを持つ(自分の主観です。武将なんだからそりゃ戦いもします)秀長がそれを物とも為さず突き進むようなそういう側面が想像できるようで、私は好きですが前述したように信憑性はかなり低いらしいことをもう一度付け加えておきます。


そして信長公記では


直に但馬国へ相働き、先山口岩州の城を落城し、此競に小田垣楯籠る竹田へ取懸り、是又退散、則、普請申付け、木下小一郎城代として入れ置かれ候キ

−信長公記


とだけあります。

その前後にも幾度かの戦いがあり、そういう経験を活かし、この竹田城は生野銀山の管轄もしていたようで豊臣時代には重要な場所であったからこそ、当時の技術を結集しこのようなスケールの大きい総石垣の城になっていったんでしょうね。

しょうもないプライベートの話も入ったりで無駄に長くなりましたが、とりあえず竹田城のお話は以上です。
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posted by 治部少輔 at 02:04| Comment(0) | 城跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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